由来・歴史
今川焼きの歴史が開幕するのは、江戸中期です。
1777年刊行の「富貴地座位」(名物店の番付誌)の中に、「今川やき 那須屋弥平 本所」という記述があり、これが今川焼の文献上の初出とされています。
今川焼きの呼び名は、発祥の地とされる「今川橋」(現・東京千代田区鍛冶町)に由来しており、当エリアにて、前出の富貴地座位が刊行した時期に今川焼きが作られはじめたとする説は、ほぼ定説となっています。
ただ、当時の今川焼きの実態は不明であり、具体的にどういう材料や製法で作っていたのか、仕上がりの形も含めて詳しいことは分かっていません。
ミステリアスな今川焼きが陽光の世界に出てくるのは、幕末に入ってからです。
明治期の郷土玩具研究者、清水晴風による幕末の絵画資料「街の姿」(1983年刊)の中で、6つのくぼみがある小さな鉄板を使用して、今川焼きを焼く物売りの姿が描かれています。
これにより、幕末には現在のスタイルの今川焼きが作られていたことが分かりました。
その後、明治、大正、昭和、平成を経て令和の現在に至っても、今川焼きの歴史は脈々と引き継がれており、堅焼き菓子の代表格として関東を中心に高い人気を博し続けています。
堅焼き菓子には大判焼き・回転焼き・たい焼きなどもありますが、今川焼きはその中で最も歴史が古いといわれる和菓子です。
その意味で今川焼きは、焼型で作る和菓子のさきがけだったともいえるでしょう。
特徴
今川焼きは、小麦粉・卵・砂糖などの材料を水で薄く溶いて作った生地を型に流し込み、あんこを入れて焼き上げる焼き物の一つです。
単純素朴を絵に描いたような円柱形のデザインを特徴とし、派手さはありませんが、石臼のようにどっしりとした体型には、見事な安定感と適度な重量感が備わっています。
そして、外見にたがわず生地の中には小豆餡がぎっしり詰まっており、密度の高いあんこのボリューミーな味わいが食べ応え十分です。
特別なものは入っていませんが、焼きものならではの香ばしさとふっくらした食感、普遍的なあんこの甘みと風味には飽きのこない人気があります。
ただ、今川焼きの中身はバリエーションが進化しており、長らくあんこが主流でしたが、最近ではカスタードクリームやチョコレート、ホイップクリーム、チーズ、ジャムなどメニューが豊富です。
また、今川焼きは全国にライバルが多い和菓子でもあります。
同じ焼き物としてよく類比される大判焼きや回転焼きはその典型ですが、実は今川焼きとの違いは、呼び名の由来以外にはほとんどありません。材料構成も作り方も味わいもほぼ同じであり、菓子としての本質的な違いはないといえるでしょう。
他方、今川焼きでなければ味わえない雰囲気があるのも確かです。今川焼きが独自に築いた歴史や由来を想像しながら食べてみたとき、確かに大判焼きや回転焼きにはないフィーリングを体感できます。
分類や原材料
分類(水分量) | 生菓子 |
---|---|
分類(製法) | 焼き物 |
主な原材料 | 小麦粉、卵、砂糖、あん |
利用シーン
今川焼きは親しみやすい身近な和菓子であり、さまざまなシーンに適応します。出来立てを食べるのが一番ですが、冷凍保存も可能であり、冷凍食品のおやつとしても人気があります。お昼ご飯の代わりにするのも全然OKです。
- 食べ歩き
- おやつ、お茶請け、小腹が空いたとき
- 手土産
- スポーツ時のエネルギー補給など
有名な今川焼き
参考資料
- 奥深い和菓子の味わい
- ニチレイの『今川焼』
- 1位大判焼き、2位今川焼き、3位回転焼き|同志社女子大学(教員によるコラム)
- たい焼きは「今川焼き」の何がどう進化したのか?文献から読み解く「たい焼き誕生史」
今川焼きのレビュー
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