由来・歴史
亥の子餅は、平安以来の宮中行事「亥の子祭り」に由来しています。
亥の子は中国で起こった無病息災を願う儀式です。平安時代に日本に伝来し朝廷の宮中行事として採用され、後に民間(農村)にも普及しました。この亥の子祭りにそえられたお菓子が亥の子餅でした。
亥の子祭りは、無病息災から五穀豊穣、イノシシの多産にあやかった多産・安産祈願などと結びつき、日本独自の発展を遂げます。亥の子餅もおなじ流れで歩みをすすめ、次第に普及しました。そして平安期の「源氏物語」をはじめ、鎌倉時代の「二中歴」、「年中行事秘抄」など中世から近世に至るまで、各時代の文献にその名を残すこととなったのです。
この点、亥の子餅は独自に発展したというより、亥の子祭りの歩みにあわせてともに成長してきたといえるでしょう。
特に江戸期に入ると、宮中では天皇から臣下へ、武家社会では将軍から大名・旗本へと亥子餅の下賜が儀礼化されて盛んになります。それにくわえて亥の子餅は茶道でも取り入れられたため、祭事と合わせて大いに躍進しました。
当初は禁裏の行事(宮中のみで行う行事)だった亥の子祭が民間にも広まったことで、亥の子餅も親しまれるようになり、やがて大衆文化に定着したのです。
現在、亥の子餅は北は北海道から南は沖縄まで全国各地で販売されています。
餅菓子の中ではマイナーですが、行事食としての精神的価値は古来から変わりません。
特徴
亥の子餅は、11月(旧暦10月)の最初の亥の日・亥の刻に行われる年中行事「亥の子」に食べる伝統の和菓子です。
一般的な製法は、求肥をベースに種々の穀物を混ぜ込んで餅生地を作り、小豆のあんこを包んでイノシシの子ども(うり坊)に見立てて形を整えます。仕上げに、線状の焼き印を背中に入れれば完成です。
亥の子餅は無病息災を願う祭りのための行事食ですが、敷居は高くありません。例えば、いで立ちはイノシシというほど猛々しいものではなく、むしろパソコンのマウスのように全体に楕円形の丸みを帯びた姿がかわいらしく、ハレの日のお菓子としてのカジュアルさを身につけています。
また、亥の子餅は標準という概念を知らないのではないかと思われるほど、地域によって素材や製法に違いが見られるのも特徴です。
餅生地に求肥や白玉粉を使うかと思えば、うるち米やもち米を用いたり、さつまいもを混ぜたり(いいもち/徳島)、米に里芋を混ぜて炊いて「おはぎ風」(いもぼた/奈良県)にしたりする場合もあります。他にも、大豆、小豆、胡麻、粟、柿、きな粉等々、さながら“素材の総合商社”の様相です。
そのため、亥の子餅の一般的な味わいは無いに等しく、形や色も含めて地域で異なるさまざまなタイプの亥の子餅が楽しめます。
祭事にルーツをもちながら、多様な地域性と自由度の高さを発揮するのが亥の子餅の魅力です。
分類や原材料
分類(水分量) | 生菓子 |
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分類(製法) | 餅物 |
主な原材料 | 求肥、砂糖、小豆あん、穀物 |
利用シーン
亥の子餅はハレの日だけでなく、日常のおやつや手土産にも利用できます。ただし和菓子店に並ぶのは風習にしたがって10月〜11月(亥の子・炉開きは11月)となるため、お店で買って食べる場合はタイミングを合わせることが大事です。
- 亥の子、茶道の炉開き
- 普段のおやつ、食事のかわり
- 手土産、お礼、お見舞い
- 家庭料理
有名な亥の子餅
参考資料
- 第104話 初冬の行事「亥の子」/猪名川町
- 旧広島市域における「亥の子」の変遷について
- 近世京都における禁裏御所の玄猪餅にみる菓子の機能―霊力が宿る媒体―
- 地域だより[2003年12月]|農畜産業振興機構
- いのこ餅 和歌山県|うちの郷土料理:農林水産省
- いもぼた 奈良県|うちの郷土料理:農林水産省
亥の子餅のレビュー
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