由来・歴史
錦玉羹のはじまりは江戸時代と見られていますが、由来には諸説あります。
1つは、京都伏見の本陣(宿場)の主人「美濃屋太郎左衛門」が創案したとする説です。太郎左衛門は寒天の発明者としても知られており、その自作の寒天を用いて江戸初期に最初の錦玉羹を作ったといわれています。
もう1つの由来は、江戸後期説です。
1790年頃、京都伏見の駿河屋(現・和菓子の総本家駿河屋)の主人岡本善右衛門が、寒天を用いた固めの羊羹、すなわち「練り羊羹」を開発しました。それに続けと言わんばかりに、錦玉羹、淡雪羹、みぞれ羹なども同時期に登場したといわれています。
いずれであっても、錦玉羹が江戸時代にお目見えしたのは間違いないようです。
なお、錦玉羹の「錦」は江戸時代には「金」であり、「金玉羹」と表記するのが一般的だったと伝えられています。また、当時から琥珀色に着色したタイプもあったため、琥珀糖などとも呼ばれていました。
当時の日本は、錦玉羹づくりに欠かせない製糖技術が成熟しておらず、白砂糖はもっぱら輸入に頼っていた実情があります。そのため、宝石のような見た目だけでなく、高価さを象徴する意味においても、金玉羹と名付けられたのは必然だったといえるでしょう。
後に白砂糖の国産化が整い、製造技術の向上と菓子職人の創意工夫もあり、甘くて美味しい見た目も涼やかな錦玉羹が安定的に作られるようになりました。
特徴
錦玉羹は、京都発祥の見た目が涼やかな夏の和菓子です。
寒天に水・砂糖・水飴などの材料を加えて煮溶かし、型に入れ、冷やし固めて作ります。
冷やしたあとは表面が乾燥して砂糖が結晶化するため、表面のシャリッとした歯触りと寒天のぷるんとした食感による味わいのコンビネーションが絶妙です。
錦玉羹の外観は、ガラス細工のように透明で美しいデザインが冴えわたります。
形状は角氷(ブロック氷)を思わせる直方体または角切りが一般的です。他方、型に流して葉型や花形にしたり、水紋、金魚、亀甲をこしらえてみたり、多様なバリエーションがあります。
着色も自在です。海をイメージしたブルー、エメラルドをはじめ、赤、緑、抹茶、紫、琥珀色など選択肢に事欠きません。
錦玉羹は夏のお菓子の定番であるため、形状もカラーも夏に関連したものが多用されます。
多用といえば、レシピ/作り方にも無限の幅があります。中にあんを入れたり、甘納豆を入れたり、ミントの香りをつけたり、柚子風味、ヨーグルト風味もあるなど、よりどりみどりです。
主材料の寒天は、糸状の「糸寒天」と粉状の「粉寒天」がありますが、透明度を出す場合は糸寒天が用いられます。
このように、錦玉羹は、夏の定番と呼ぶにはあまりにも奥深く多様性に満ちた和菓子です。
さまざまな風味と食感、色とりどりの「宝石」の中から、探せば必ず自分にあった錦玉羹が見つかります。
分類や原材料
分類(水分量) | 生菓子 |
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分類(製法) | 流し物 |
主な原材料 | 寒天、砂糖、水飴 |
利用シーン
夏のお茶時間にぴったりです。見た目涼やか、のど越し爽やかな錦玉羹は、一つ食べるだけで夏の涼が味わえます。賞味期限が比較的長いため、手土産やギフトに用いるのもOK。材料が少ないので、手作りもおすすめです。ただし、砂糖が少ないと透明感が出なくなるため要注意です。
- おやつ、茶請け
- 手土産、夏のギフト
- 家庭で手作り