由来・歴史
有平糖(あるへいとう)の名称は、ポルトガル語で糖菓を意味する「アルフェロア」に由来しています。
その語源のとおり、有平糖は南蛮貿易が盛んだった16世紀の安土桃山時代、ポルトガルから日本に伝来しました。
最初の上陸地は長崎です。長崎といえばカステラや金平糖の伝来地としても知られ、南蛮菓子の搬入口だったところ。
有平糖は南蛮菓子の一つとして長崎に降り立ち、その後、京都、江戸と順に伝わり各地へ広がっていきました。
大衆的な和菓子として有平糖が定着したのは、江戸以降と思われます。
例えば、日本画家の伊藤晴雨が描いた「江戸と東京風俗野史」には、“駄菓子屋で売る菓子の種類”の一つとして有平糖が挙げられています。
また、江戸末期の安政6年(1859年)に小倉藩主の小笠原忠嘉が京都を巡行した際、有平糖を土産として注文したという記録も残っています。
初期の有平糖は、公家や大名など貴族階級に献上された高級菓子でしたが、作り方や食べ方の知識が普及するにつれて貴重品ではなくなり、やがて大衆和菓子の一つとなったのです。
その一方、細工菓子の技術は時とともに発展していき、伝来時にはなかったような優れたデザインをいくつも生み出すようになりました。
現代の有平糖は色、形、風味まで多様性にあふれ、変幻自在な装飾菓子として様々なシーンで活躍しています。
特徴
有平糖は、砂糖に水飴を加え高温で煮詰めて作る南蛮菓子の一種です。
発祥はポルトガル、伝来の地は長崎ですが、現在は京都や北海道など日本各地で作られています。
有平糖の特徴は、シンプルな製法とアクセサリーのように色鮮やかな見た目です。
主な材料は砂糖と水飴で構成され、この2つを直火式で高温処理したのち、さまざまな風貌に成形します。
形状は棒状、ねじり型、花や葉っぱ、果物、野菜を模したデザインなど多種多様です。赤、黄、緑、茶、ピンク、紅白などカラーリングの種類も充実しています。
有平糖の仕上がりは透明感とつややかさに満ちており、さらにそこに加わる多様な色・形への技巧によって「飴細工」としての和菓子が完成します。
もちろんアクセサリーが本分ではなく、実体は、上品で軽やかな甘さと風味の効いた爽やかな味が魅力の飴菓子です。
外側のあめはパリパリ、カリカリ、あるいはサクサクと音感のある食べ心地がなんともいえないフィーリング。自然な飴色を眺めつつ、砂糖の豊かな風味を感じつつ、口の中であめが溶けていく爽やかさは至福としかいいようがありません。
有平糖はフレーバーも多彩です。抹茶、きな粉、ヨーグルト、バニラ、イチゴ、マンゴー風味など、そのときの気分や用途で味わいが選べます。
見て楽しく、食べておいしい有平糖は、視覚と味覚を同時に満足できる一挙両得のお菓子です。
分類や原材料
分類(水分量) | 干菓子 |
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分類(製法) | 飴菓子 |
主な原材料 | 砂糖、水飴 |
利用シーン
有平糖の利用シーンは多彩です。日常のおやつ、お茶請けから結婚式、内祝い、催事、行事の装飾菓子まで幅広く用いられています。紅茶の砂糖代わりにするのもOK。和菓子屋、土産屋、スーパー、ネット通販など購入場所も豊富で、日持ちも良好です。
- おやつ、お茶請け
- 土産、ギフト、内祝い
- 七五三、ひな祭りなど行事菓子
有名な有平糖
参考資料
- 「有平糖」|「ナガジン」長崎の物産あれこれ
- 和菓子の変遷と菓子屋の展開
- 二條城行幸時の饗応献立における南蛮菓子―新史料を用いて―
- 幕末から大正中期における東京駄菓子の展開 : 川越菓子屋横丁と比較して
- 宇佐神宮と宇佐飴―豊前地域の飴製造との関連を中心に―
有平糖のレビュー
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