福梅の由来・歴史や特徴

福梅のイラスト(和菓子の魅力)
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由来・歴史

福梅の歴史は、江戸時代を通じて最大規模の石高を誇った加賀藩(金沢藩)が舞台です。

明治7年(1874年)、最後の藩主14代前田慶寧が藩主庭園の「兼六園」を市民に開放した際に創案された祝菓子に由来しています。

当初の福梅はある種の記念品でしたが、廃藩置県により役目を終えた城のお抱え料理人の一部が菓子屋となり、福梅を大衆菓子として広めたのではないかと見られています。

福梅を象徴する梅花型のデザインは、加賀藩前田家の家紋・剣梅鉢を由来とする説が有力です。ただし、京都の和菓子店・川端道喜の「寒紅梅」(餅菓子)をルーツとする説もあり、厳密な起源はわかりません。

その後、加賀藩から金沢藩、金沢県、石川県へと時代が変化するにしたがって、福梅は県内全域に広まっていき、土地に根付いた地域菓子となりました。

とりわけ正月菓子としての濃厚な根付きを見せ、現在でも福梅は金沢を代表する正月の縁起物として知られています。

福梅の地域定着に関しては、デザイン性や美味しさだけでなく、福梅に替わる正月菓子が他になく、製造販売上の制約がなかったこと、日持ちが良かったことなども要因となったようです。

今も、福梅の立ち位置は変わりません。石川県全域で愛される正月の風物詩として、さらには、12月に入って県内の和菓子店で福梅の販売がはじまり、それを見た県民が正月が近いことを知る、季節時計の役割も果たしています。

特徴

福梅は、「加賀百万石」でおなじみの、石川県金沢市を代表する縁起菓子の一つです。

梅花型の最中種(最中の皮)に水飴とあんを詰め、皮の表面に砂糖を塗ってまぶすと、華麗ないで立ちの福梅が完成します。

特に表面の砂糖がけは、梅花に積もった雪を表現しており、素朴なデザインながら実に感性豊かです。

福梅の色は白かピンクが多く、サイズは小ぶりで、菓子というより小物雑貨のような可愛らしい外観を呈しています。

味や風味は一般的な最中とほぼ同じです。表面にまぶした砂糖の風味から、皮のパリッとした食感、粒あんのしっとり濃厚な甘みまで、素材をいかした伝統の味わいが堪能できます。

金沢では縁起菓子の一つとして正月に食されていますが、個人用やギフトに用いることも可能です。

一方、福梅は菓子店によって微妙に味が異なるのもチェックポイント。甘さ控えめ、こってり甘め、ほどよい甘さなど、それぞれ伝統的な標準の味をベースにしながらも、異なる種類の味を提供します。

確固として変わらないのは、梅花を模した慎ましくも華麗な外観デザイン。

福梅は女性でも3口ほどで食べられる小ぶりなサイズですが、最中種の上に咲くきれいな梅花を愛でながら食べるとき、サイズ以上の豊かな味わいが堪能できること請け合いです。

想像力次第では、本物の梅花の香りに包まれる嬉しい錯覚を味わえるかもしれません…

分類や原材料

分類(水分量)半生菓子
分類(製法)岡物
主な原材料もち米、水飴、小豆、砂糖

利用シーン

福梅は年末~正月に販売されており、金沢では伝統的に正月菓子として食べるのが第一の利用法です。ただし、おやつ、お茶請け、手土産など普段使いもできます。和菓子店によって異なる味を食べ比べしてみるのも一興です。

  • 正月菓子(金沢の伝統)
  • おやつ、お茶請け、来客用
  • お歳暮、内祝い、ギフト
  • 手土産、お見舞い用など

有名な福梅

参考資料

福梅のレビュー

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