由来・歴史
かのこ(鹿の子)は、江戸中期の宝暦年間(1751年〜1764年)に歴史がはじまりました。
江戸の人形町にあった「エビス屋」という和菓子屋が売り出したオリジナルの餅菓子を、現在のかのこの由来とする説が有力です。
ただ注目を集めたのはかのこだけでなく、エビス屋が単なる菓子屋ではなく、当時人気を博した歌舞伎役者・嵐音八の実家だったこともあります。
それで、「かのこのという新たな菓子を歌舞伎役者が作った」という話題性がうまれ、評判が評判を呼んでかのこを全国に広めることになったのです。
一方、かのこの普及は単にエリアを広げただけではありません。長い歳月をかけて各地へ伝わっていく中、さまざまな変化を生み出しました。
大粒の栗を用いた栗鹿の子、金時豆をあしらった鹿の子餅、白いんげんをつけた京鹿の子、緑茶風味の緑茶鹿の子など、幅広いタイプのかのこが存在するのは今日見られるとおりです。
かのこ一般のデザインでは、鹿のこどもの背中の斑点をかたどった鹿の子模様がトレードマークとして継承されています。でもそれ以外の素材や風味付けはバリエーションが多彩です。
伝統を守りながら変化を追い求める気風は、かのこの源流である歌舞伎役者のDNAを受け継いだ証拠といえるでしょう。
それほどまでに、“歌舞伎役者の実家で生まれた和菓子”は、江戸の人々の心にあざやかな印象を刻みつけました。
特徴
かのこは、求肥や羊羹を核にして周りを餡で包み、表面に小豆の蜜漬けを隙間なくつけ、仕上げに寒天を塗って食べる高級和菓子です。
「鹿の子」とも呼ばれ、読んで字のごとく、表面に小豆の粒が密集して塊をなす様子が、鹿のこどもの背中の斑点をおもわせるデザインとなっています。
また、かのこは火を用いることなく種々の素材を組み合わせて作る岡物の一種です。そのため、求肥・餡子・小豆・寒天など各素材の境界がはっきりしています。
他方、味わいや風味は多面的です。求肥のもちもち食感、餡の上品でコクのある味、小豆の香りと風味、寒天のなめらかな口どけのよさなど、かのこでは、幅広い味わいと香りが楽しめます。
とりわけ求肥のもちもちした食感は、かのこが「鹿の子餅」とも呼ばれる所以です。その求肥をくるむ餡は、こし餡が定番ですが、お店によってはつぶ餡を使用する場合もあります。
表面で鹿の子の斑点を演出する豆は、普通の小豆、大納言小豆、白小豆、黒豆、うずら豆、うぐいす豆などバリエーションが多彩です。
さらに、かのこは使用する素材によって呼び名が変化します。栗を使った栗鹿の子、白いんげんの京鹿の子、普通の小豆を用いた小倉野、緑茶を使った緑茶鹿の子…といった具合です。
かのこの食べかたは、そのまま食べても美味ですが、鹿の子模様で目を楽しませながら味わうことで美味しさが極まります。
分類や原材料
分類(水分量) | 半生菓子 |
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分類(製法) | 岡物 |
主な原材料 | 求肥・小豆餡・小豆・砂糖 |
利用シーン
かのこは押しも押されぬ高級和菓子です。普段使いだけでなく、プレゼントやお祝い事にも活躍します。冷蔵すると硬くなるため、常温で早めに食べるのがポイント。長期保存では冷凍しますが、解凍はレンジではなく自然解凍して食べましょう。
- おやつ、お茶請け
- 手土産、プレゼント
- お礼、お返し、ご挨拶
- 入学、結婚など内祝い
有名なかのこ
参考資料
- 原料豆の異なる白生餡,白練り餡の特徴
- かのこ‐e食材辞典‐eヘルシーレシピ‐第一三共株式会社
- 鶯亭金升と京鹿の子|歴史上の人物と和菓子|菓子資料室 虎屋文庫
- 緑茶鹿の子| 一般社団法人 鹿児島県茶生産協会
かのこのレビュー
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