由来・歴史
塩がまの由来は定かではありませんが、はるかな源流をたどれば一人の神様にたどりつきます。
それは、宮城県塩竃(しおがま)市にある鹽竈神社の祭神である「塩土老翁神」です。
古くは日本書紀にも登場するほど由緒ある神様ですが、この塩土老翁神が江戸時代、人々に藻塩草(アマモ)を用いた製塩法を教えた際に、塩がまの製法も合わせて伝えたとする伝承があります。
塩がまを発明したのが人間ではなく神様だったとすれば、なんともロマンチックで神秘的な話です。
時あたかも、江戸中期の1720年には、現在も続く塩竃銘菓「志ほがま」を看板メニューとする丹六園が創業しています。
したがって、塩がまの歴史が江戸時代に始まった(あるいは降臨した)と考えるのは自然な流れでしょう。
ただ、初期の塩がまは甘味や風味が少なかったようです。砂糖や塩は使われず、粉末にした餅米に薄塩草を加えて木型で押し固めるシンプルな製法だったと伝えられています。
後に砂糖と塩が加えられ、さらにシソの粉末である「ゆかり」を散らすことで、抜群に風味を増した今日の“塩がまスタイル”が確立しました。
そして塩がまは宮城県を飛び出して各地に進出。発展したり継承したり、あるいは変化をつけながら、いつの間にか全国区の和菓子となったのです。現在では塩竃といわず全国どこにいても購入できます。
さすが神様から直々に伝授された「教え」の効果は絶大です。
特徴
塩がまは、宮城県塩竃市を発祥とする押し物の和菓子です。
みじん粉に塩、砂糖などを混ぜてシソの粉である「ゆかり」で風味付けをし、木型で押し固めて成形して作ります。
水飴や糖液を加えたほどよい湿気を含んだ口あたりのよさ、上品でやさしいゆかりの香り、みじん粉の生地で包んだ餡の甘さや旨味などに魅力があります。
かつては生地にもち米、風味付けに藻塩草(海藻の一種)を用いましたが、現在は生地にみじん粉(もち米の粉)、風味付けにシソの葉(ゆかり)、中には小豆餡を入れたものが主流です。
塩がまは「塩釜」「しほがま」と表記する場合もありますが、どれも宮城県の塩竈・松島エリアがルーツのお菓子です。
見た目は四角形、長方形など抽象的なものが多い一方、丸型、半月型など自然を表現した写実的なデザインもあります。
いずれであっても、塩がまは材料を木型で押し固めて作る打ちもの類の一種です。あらかじめ定めた「型」で打ち抜いた形状はどれも美しく、見事なほどブレない安定感があります。
それでいて、風味には小豆餡やしそ風味のほか、ゴマ風味、抹茶風味、副材にきな粉、練り飴を用いるなど、バリエーションの豊かさも特徴です。
塩がまは伝説によれば神様直伝の非常にありがたい由緒ある和菓子。
その本質は、型で作る厳格さだけでなく、機会があれば遠慮なくバリエーションを増やしていく自由も備えています。
分類や原材料
分類(水分量) | 干菓子 |
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分類(製法) | 押し物 |
主な原材料 | もち米・砂糖・塩・しそ |
利用シーン
塩がまは宮城県の特産ですが、現在は全国で販売されており日本人に広く愛顧されています。リアル店舗でお土産として購入したり、オンラインショップでお取り寄せしたりすることも可能です。仏壇などのお供えやお茶菓子にぴったりな和菓子です。
- おやつ、お茶請け
- 法事、法要、お供え
- お土産、贈り物、お返し
- お祝い、内祝い
有名な塩がま
参考資料
塩がまのレビュー
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